本堂(重要文化財)
丈六寺(じょうろくじ)は曹洞宗の寺院。山号は瑞麟山。詳しくは瑞麟山 慈雲院 丈六寺という。 本堂の本尊は釈迦如来。観音堂に安置されている聖観世音菩薩坐像が旧来からの本尊である。この観音像は立てば一丈六尺(約4.8m)になることから丈六仏と呼ばれ、寺院名の由来となった。 徳島県内の寺院の中では文化財が多く阿波の法隆寺とも呼ばれる。阿波秩父観音霊場第24番札所。
丈六寺24番札所
歴史
寺伝によれば、寺の歴史は白雉元年(650年)に関東地方よりたどり着いた尼僧が、この地に庵を構えたことに始まると伝えられている。
室町時代中期の長享・延徳年間頃(1487年〜1491年)、阿波国・三河国・讃岐国の守護大名・細川成之が金岡用兼を招聘し宗派を曹洞宗に改めて中興開山し、伽藍を整備した。

江戸時代になると、徳島藩蜂須賀家歴代藩主が庇護し寺院を整備した。
境内には細川成之・持隆・真之の墓がある。
また、蜂須賀家重臣の墓も多く、家老の稲田家・山田家、中老の里見家・生駒家、奉行等の墓も見られる。

血天井伝説
戦国時代、土佐の戦国大名長宗我部元親は阿波国に攻め込んだ。
那賀郡まで攻め入った際、ここを治める牛岐城(富岡城)主新開入道道善(新開遠江守忠之)は勇猛で知られており攻めあぐねた。
元親は一計を案じ、和議を申し入れた。
天正9年10月16日(新暦1581年11月12日)、道善を丈六寺に呼び出し酒宴を開いた。
和議の条件として、道善に対し四国統一の後に富岡城主の地位の確保し勝浦郡を与えるという案を示した。
好条件に道善主従は大いに満足し、酒宴は盛り上がった。
道善主従が、夕刻、宴を辞して帰ろうと縁側に出たところを、隠れていた元親の家臣に襲撃された。
道善主従も応戦したが、多勢に無勢で全員殺害された。
この時の手形や足形の血痕は、拭っても消えなかったと言われる。
現在、この縁の板は寺内徳雲院の天井板として用いられており、手形・足形の血痕らしき赤い形が認められる。


住所:〒771-4262 徳島県徳島市丈六町丈領32Yahoo地図

TEL:088-645-0334

交通:JR徳島駅より徳島市営バス『五滝』行きで約30分・丈六北バス停下車、徒歩5分。


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